sirokumaojisan’s diary

日常をより楽しく、元気に過ごす日常ブログ

日本を見てみよう 2 

前日に米原のホテルに泊まり二日目の朝。

 

米原周辺は新幹線の音だけが響くようなのどかな環境でよく寝れた。

しかし、昨夜に滋賀県名物のふな寿司と日本酒を堪能したかったのだが、駅周辺がのどかでお店が見つからず、ホテル晩酌になる。旅の初めは一人でボチボチするのも悪くなかったな。

 

二日目の目的地は、滋賀発の岐阜市経由で名古屋市へ。

天気予報は雨。頭の中で斉藤和義レイニーブルーが流れる。

二日続けて雨。

さすがに憂鬱だが雨具を装備し出発する。

雨の中、自転車を二日間漕いでいると発見したことが二つあった。

 

1.トラックが横を通ると前輪より後輪のほうが水しぶきをかけに来る。

 ホイールの形状が関係して、後輪が渦を舞いて水しぶき(泥水)をかけに来ます。

三回くらいかかった後は、トラックが通るたびに左を向いて防御することを覚えました。

 

2.靴の素材をゴアテックスにした人が神。

 素材がゴアテックスのものを履いているので、レインシューズカバーが要らない。

シューズカバーをつけると、足が蒸れて暑いです。さらに、水虫になる。

ゲリラ豪雨くらすの雨なら装着しますが、普段の雨ならゴアテックスが最強です。

 

雨の中を走ることで気づいたことなんだけど、やっぱり晴れに走りたい。

 

三時間くらい漕いでついたのが、決戦の地「関ケ原

予想以上の何もなさ。

人と人が大儀を掲げて戦うときは、町中は無理よね。

町で被害を出すと、その後の実権を握るときに民衆が味方にならないわ。

内戦や世界大戦はまた違って、侵略に対して戦うから住んでる民衆にも被害が出る。

「乱世を収める」のと「正義をかざす」のは根本的に違うのだろうかな。

 

歴史の原っぱをあとにして岐阜の道をひたすら漕ぐ。

21号線をひたすら走る。

走っていて気付く。

所々で左レーンが消えて、中央レーンになり、左から車が進入するつくりになっている。これが怖い怖い。

端っこのほうで身を狭くしていた生徒が、登壇に立たされ、生徒会長選の紹介演説をいきなり頼まれるが如く。えっ、なんで。となる。身振り手振りでアピールして事なきを得るが、自転車が中央を走るのは自殺行為なので、極力この手の道は走りたくない。

 

その恐怖を何度か乗り越えて、お昼ご飯に到着。

 

お野菜最高。疲れた体に豚の脂身も沁みる。

ここのタンメンも美味しかった。トッピングが面白いほどあるので飽きにくい工夫もでき、近所にあったら通っていたな。

 

食事を食べ終えて、岐阜市内へ到着する。

岐阜のセントラルは、風俗街や商店街、百貨店など多くのお店があり活気があった。

都会の活気というより、昔ながらの町の活気という感じで、古くから有るようなものが多く目につく印象で、個人的に好きな雰囲気だ。

その町から少し離れたところにある博物館にいった。

目当ては教科書などにも出てくる「楽市楽座」である。

予想以上の作りの良さに驚く。

ちなみに一表は60kgなので、このお馬さんは360kgを運んでいます。

火縄銃などの引き金を引けたり、織田信長についての説明があったり、

期間展示で和傘を色々みれたり、人が少なくゆっくりと見学できました。

和傘にも種類があり、雨傘と日傘があるそう。違いを見分けるにはどうするのかを博物館の方に伺うと、傘の頭に合羽があるかどうかでわかると教えてくれる。

傘って合羽がついているんだね。

いろいろ見て満足したので、駅前のモニュメントで旅を締める。

これで2022年の旅はセーブされました。

名古屋には自走はしなかった。

基本、都会になればなるほど自転車は走りにくい。

そして、名古屋と言えば「名物。名古屋走り」

21号線で十分な恐怖を覚えたので、岐阜から名古屋の20Kmの道に興味がなくなったのです。

似たような幹線道路が20km続くと予想し電車に乗り、車窓から自走したであろう道路を舐めるように見ると、予想通りの道が続いていた。

私の旅は、「安全に快適に自分がワクワクする」が大事なので、全部自走というこだわりはありません。

日本の北から南には何があるのだろう??

実際に自分が体験し、自分事として物事を見るようになると世界は変わります。

自分が行って見て、どう自分が思うのか?

また来年も行って見よっと